絵本と花束

音楽 本 季節 米津さん

ゴーストルール

 何か曲を聴いた時、その歌詞が今の自分自身とあまりにも重なっているような偶然を覚えることはおそらく多くの人が体験することで、それは音楽を聴くことの密かな楽しみだと言える。しかしそれも自分の好きな音楽を選び集めて再生しているのだから、感覚に対して納得感のある曲調と心の動きに寄り添うような歌詞が次々と流れてくるのは当たり前なのだろう。偶然にすぎない。

 偶然にすぎないよ、という言葉と裏腹に 偶然の連続とそれに対する過剰な意味付けが生まれ始めると、様々なものの積み重ねが根拠にある「必然」とは果たして何だったかと疑問が生まれ始める。

 自分の行動思考、世界の外で起こりうることの境界はぼやけ始める。そこに残るのは空白で、言葉は渇いて、人々は亡霊のように立ち尽くすのかもしれない。本当の言葉が意味を成さないその空白の中で、私たちは何処へ行けばいいんだろう。

 足りないものを望んで、僕じゃない僕と出逢ったとして。

 取り扱い説明書もない、そこが到達地点かも分からない、あまりにも遠く延びる道の先に眩暈がするようだった。足りないものを望んだなんて聞こえはいいけど、そんなのは我儘な無い物ねだりでしかないのかもしれない。

 正直者が夢見たいなら、なにかひとつ世界を終わらせなければならないのかもしれない。

 NOだって言う筈なのにYESを声に出したり、感情の脆弱は騙した方がジャスティスだったり、亡霊のようだと思う言葉は薄く引き伸ばされ空中に影を潜めたかと思えば形を失っていった。

 メーデーが発信される。

 「僕を叱ってよ」「僕を裁いてよ」「僕を暴いてよ」

 「僕と踊ってよ」

 この亡霊は最後の最後、本当の言葉を口に出来たのではないか。しかし本当なんて言葉すら意味の無いことなのかもしれない。

   たとえば亡霊のように形無いルールが「当たり前」として蔓延っていて、私たちは何を本物だと確信できるだろう?

 

 


DECO*27 - Ghost Rule feat. Hatsune Miku / ゴーストルール feat. 初音ミク

 

今年

今年終わんのかみたいなアレがある

手帳見てたけどあと3ヶ月やんけ…ウケた…大晦日は日曜日のようです。クソ楽しみ

 

たのしー

こういうこと考えてる時ほんと一番楽しい

ガキ使観ながら適当にスナック菓子つまんでゆっくりできたらあと何も望まない

冬…楽しみ…秋がまだ始まったばかりだが…

冬になるといつも決まって燻したみたいな空気になるのがよい。どこから漂ってるのか分からないが寺でやってる炊き上げとかなのかなと思っている。知らんけど

 

ハロウィンも楽しみだよ…ハロウィン…私的ハロウィンソングはGhost Mansionですね ほんとすこ

これ聴いてるとナイトメアビフォアクリスマスの月の見える丘とお菓子の国の融合みたいな情景が思い浮かぶ

ハロウィン…(反芻)

その前に先輩後輩と会うのも楽しみですね  休日はいいぞ

 

いや知らんがなということばかりだよマジで

今日こんなに寒いのに来週から30度とかなの意味が分からない

秋になるならなれ

 

いつも自分の足で歩きながら人との繋がりをちゃんと大事にできたら一番いいと思う

遅ればせながら実感している

干渉じゃない相互コミュニケーション、思いやり、大事

 

なんか色々気にしすぎても仕方ないなという境地に至りつつある  もう知らんみたいな

みんなこの境地にいたのかもしれないな いつも気付くのが遅い  会いたみが深い

 

さっき書き物しててエモ使い切ったんだけど今日の残りで何か書けたら書きたいなー

TSUTAYA行きたいなー。

ウアー(:3_ヽ)_

 

 

 

部屋

  バーチャルな空間から一旦離れて目を休めようとした。しかしこの場所は残しておくことにした。ここではちゃんと書ける気がしたからだ。

  行動について自分と相手の認識の仕方は180度異なる場合もあり、理解しようと歩み寄る努力すら無駄であることばかりだ。 

  よく分からない、でもそれが社会の普通なんだろう。

  こんな心の内を外にさらさないでずっと外気に触れない状態にしておけばそれはそれで無害だろうけど、馬鹿にしないで読んでくれる人が読んでくれるならそれでいいと思う。だからあまりこういった精神状態のよろしくない文面は書き残すべきではないのは分かっている。ただ一応の近況報告というか、今こんな感じだという、それだけ。

  私が不安定にしていて人が不安定になるのは嫌だ、でも言っておいた方がいいこともあるのかもしれない、というそれだけだ。

  私はいつも実際様子を見たり呟きを見たりしてみんなが普通に生活しているんだなと思うのが一番嬉しい。

  好きな人が笑っていれば嬉しいのは、当たり前だった

  それなりに元気にしていてくれたら嬉しい。

   こんなふうに一人になると書きたいと思う気持ちばかり湧いてくる 何を書くのか定まらないけど、ただ 形に出来るだろう形の無い何かが頭の中に描かれる。何にも生まれないけど書きたいって、雨の音が静かに響く部屋で思う。

   心が健康でいられるのがいちばんいい

  自分は今日もちゃんと自分だと思えるのがいちばんいい

  誰かに何かを決め付けられるのではなく。

 

心呼吸

私はおかしなところにいるのかも知れないなと思うことばかりだ

こんなただの言葉の羅列並べて、何か残した気になって、誰も何も動くことはないそんな末路かもしれない。

音楽の溢れる箱の中で響く全ての光と言葉が耳に鳴り止まなくて、いつもの音楽再生機から流れる音量が小さくて仕方ない。

頭がおかしくなるんじゃないかというくらいの音量だ。

最高値の半分を越えた音でも小さくて、全然、聴こえないんだ

私が何をしようと届かなくて、ただおかしいと思われて、私が音楽を聴く半径からはもう誰もいなくなるのかもしれない。

それでもただ、痛みを乗り越えて届けようとする人の音楽はただひたすらに美しいのだった。

そんな言葉と音を必死に聴こうとしなくて、じゃあ何を聴けばいいんだろうと思う

雑多な言葉と音で耳を塞ぎたくなるような街中でたったひとつ救いみたいな歌を

自己満足

きっとそうなんでしょう。

人は笑って、馬鹿みたいだと言って、

誰にも届かなくて死んだとして、

それでも私はこの歌を聴いたことを、歌を歌うあなたの目を見たことを、

閃光みたいな照明と揺れる影、ひしめくみたいなあの空間

忘れたくないと思うんだ

もう迷わなくていいと思った

このために生きればいいと思ったんだ

生きているのに存在すらも忘れてしまうくらいの呼吸

この時間は、確かにあった と思わせてくれたこの呼吸

圧倒的な感情の発露に

無意識に掴んでしまうTシャツの胸元

握りしめるのはたったひとつの心臓と

その言葉を吸い込む紛れも無いこの呼吸だ。

最果ての夜行列車

   ここの所、私はずいぶん物事を楽観的に考えすぎていたらしかった。 

  悲観的になればどこまでも悲観的になれて、もう何処へも行けなくなる感覚には二度となりたくなかった。だからこそ戻り方を覚えて、もう迷わない道筋を辿って前に進んで行こうと。

  そういう意味でのポジティブ思考は実際とても大事なものだった。信じることで見えてきたものが沢山あった。

  その思考は馴染めば違和感なく進んで行ける乗り物で、乗っていることを忘れる時すらあるような自然さと共に目の前には新しい景色が流れて行った。

  しかし段々と見えてくる景色が歪になって来ていることに気が付き始める。輪郭のないような、不自然な玩具の世界のような。

   

  色々書いたけど迷うこともあるよね。それでもペース落としたり元に戻したりしながら、着実に進んでいけたらいいよね。

  ひとまず睡眠しっかりとりましょう。

 

 



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淡い水色 風と影

  ベランダで洗濯物を干していていつも思うのは、昔もこんな空気が確かにあったのだ ということだ

どこかから聞こえてくる工事の音

遠くを飛んでいる飛行機の操縦音

夏と秋の境目に鳴く虫の声

向かいの家から聞こえる生活音、食器の擦れ合う音、他愛ない会話

  9月の風の中に全部溶け込んで静かに風景を成していた

  当たり前のように ごく自然に流れている景色だった 

  この音は何も干渉しない

  ただそこにあるだけ。

  でもずっと変わらない 遠いいつかの箱を開けてそっくりそのまま取り出しているように 空気の匂いや無作為の音はずっとそこにあるのだった 

  秋の晴れた日はとても好きだ

  かえって悲しくなってしまいそうなこの穏やかさ、

  視界に入るのは風に揺れる洗濯物

  肺に流れていく26度の空気

  たとえば何も見えなくなったとしても、ただそこにある景色を見逃すことはしたくない

  心臓の音が聞こえるくらいの静けさを、いつだって感じ取っていたいのだった。

 

 

花と水飴、最終電車。

   一年前の夏。

  日々を手繰っていけばキリがなくて、その時のイメージは脳裏に焼き付いて、鮮明な色で蘇る。 

  去年の今日の日記。

  8月30日 火曜日 たいしたこと書いてない。

 

   17歳のあの頃、夏が終わるのは もうなくなったんだな と思うことがほんの少し寂しかったような気がする。

   でも多分、寂しいとか失ったとかセンチメンタルな感傷も全部、「高校生である夏」に集約されると分かっていたように思う。それはきっと「青春」と呼ばれる時代になるのだろうと。別にテンプレの青春は送らなかった。それでもそれなりに夏っぽいこと見つけて三回の夏を終えて卒業出来たのは何よりだった。

 

  でも別に高校生ではなくなった大学生の私も同じようなことを思っていた。

  一年前の夏。

  何かが変わったと感じるとき、いつも私が変わったのか世界が変わったのかと考える。

  些細なことは日々変化しようと、大きな変化は無いのだろう。ほんの数日で転換する何かなんて本当に脆いものだ。

  結局、今は過去の延長線上で未来は今を生きた結果。良くも悪くも切り離されることはない。

   過去の自分に後悔することは数え切れないけれど、新しい何かに挑むとき基盤となるのは確かにその場所なのだ。過去から切り離されてただ今ここに立って、進んでいけるその先が見えたとしてもそれはきっとあやふやな映像、電源が落ちたら画面は真っ暗だ。

 

  そんな時過去に聴いた音楽を聴く。

  閉鎖された耳の奥でも、夏を散りばめたこの一枚のアルバムは今も消えた画面を再生させる。